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築七〇年、国の有形文化財に指定

昭和8年6月、笹屋ホテルは家業としての旅館業から脱し本格的なホテルとしていくため、建物の増改築に着手しました。
その新しい建物の設計を担当したのが、遠藤新。旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトに師事した最後の高弟です。作庭は中学から大学まで遠藤の同期生として過ごした阿部貞著。この同郷の二人の天才によって、現代建築史上に残る建築作品としての笹屋ホテルが誕生してゆきました。
後の近代観光旅館建築のモデルとなる

昭和9年完成の乾荘(現・豊年虫)は、優しさとぬくもりが感じられる数寄屋風木造二階建てです。出入り口に鍵付きのドアがあり客室と客室の境に壁を作り「個室」であることを明確にしました。現在では当たり前の事ですが、日本建築の伝統にホテルの手法を持ちこんだ当時としては非常に斬新なスタイルで、後の近代観光旅館建築のモデルとなりました。
落ち着いた座敷の先に1段下がった広縁に椅子が置かれ、大きなガラス窓がその向こうに広がる庭の風景を一幅の絵のように切り取り、座敷~広縁~庭の調和が、自然と建物と人との一体感を醸し出しています。
広縁は座敷からおよそ7寸(21cm)下げてしつらえ、そこのテーブルを挟んで2脚の椅子が据えられており、これに座ると座敷の人と目線が同じ高さになる事が計算されています。

意匠を凝らす8棟は、それぞれ間取りも異なり、窓枠や天井のモチーフ、素材の変化、意図的に設けられた段差、丸窓などの工夫があり、部屋や庭の特徴を生かす工夫がみられます。部屋を生かしているのが池を配した庭です。
土地に自生する樹木の間に池を配した庭には白樺・クヌギ・ナラ・イチイなどが植え込まれています。また、千曲川源流の川石と水路が配され、和風建築との見事な調和は、そこに居る人に安らぎと癒しを与えてくれます。
昭和7年正月、当時の笹屋主人であった坂井修一から手紙で設計の依頼を受けていた遠藤は、赤倉でのスキーの帰りに戸倉に立ち寄り笹屋ホテルを訪れた。そして遠藤は主人の話を聞き敷地を見た後、ノートを取り出してさらさらと建物のスケッチを描いて見せた。 ![]() 「これでどうだ」 「大変結構ですが、予算はおいくらぐらいになりますか」 「ざっと10万円くらいかな」 「とてもそこまでは……」 「なら、これでどうだ」 「それだといかほどになりますか」 「三万円だ」 「……」 「じゃあ一体幾らあるんだ」 「一万円ほどですが」 言葉を交わす度ごとに冷や汗ものの主人。 「なんだそれを先に言え」 遠藤は頷きながら新たなページを開き、さらさらと鉛筆を滑らせていった。 |


築70年目の2003年、国の有形文化財に指定されました。
遠藤 新(えんどう あらた) ![]() 主な経歴 チーフアシスタントとして旧帝国ホテル建設に従事。 1922年遠藤新建築創作所を設立。 ![]() 主な作品 自由学園講堂(東京都・目白、国指定重要文化財)(右写真/撮影:小野吉彦) 自由学園初等部・女子部・男子部(東京都東久留米市) 甲子園ホテル(兵庫県西宮市) 目白ケ丘教会(東京都・目白) http://www.jiyu.jp/link/kenchiku.html |
阿部 貞著(あべ さだき) 造園家。相馬中、二高、東大(農学部)と、遠藤の同期生。卒業後は台湾の研究所や農科(東京農工大)教員の職に就くが、学生時代から庭仕事に魅せられ、植木職人として現場に入る。大正6年卒業論文「日本庭園ニ於ケル水流及池瀑」が東京大学に残されている。 |


