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遠藤 新(えんどう あらた) ![]() 笹屋ホテルのギャラリー豊年虫は、数寄屋造りの別荘「乾荘」として氏によって設計されました。歴史的建造物として、平成15年有形文化財に指定され、歳月を増すごとに風格に磨きがかかる建物となっております。 詳しくは『SASAYA DESIGN』のページをご覧ください。 |
阿部 貞著(あべ さだき) ![]() 笹屋ホテル『乾荘』の作庭を担当しました。遠く信濃の山を背景に、自然の木々と千曲川源流の川石を配し、池をめぐらし伸びやか。氏が丹精込めて造り続けたものです。 |
志賀 直哉(しが なおや) 明治16年、宮城県石巻市生まれ。白樺派を代表する小説家のひとりで、代表作に『暗夜行路』、『城の崎にて』などがある。短編小説「豊年虫」は、昭和2年、当館逗留中に執筆されました。 豊年虫とは蜉蝣(かげろう)のこと。蜉蝣をたくさん見る年は豊作になると言われています。 |
中山 晋平(なかやま しんぺい) 明治20年、長野県生まれ。『兎のダンス』『カチューシャの唄』など、童謡・流行歌・新民謡などに多くの傑作をのこした。戸倉温泉の地元青年会が中心となって取り組んだ新民謡制作で、『千曲小唄』を作曲しました。戸倉温泉を中心に広く歌われ、盆踊りの定番となりました。 |
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ) ![]() 『千曲小唄絵はがき』を制作しました。また、創作の一部は坂井銘醸の酒造コレクションや当館ライブラリー「石楠花」に収蔵展示されています。 |
正木 不如丘(まさき ふじょきゅう) ![]() 作品集第二巻中の『竹久夢二/箱書』には、笹屋主人の修一と語りあっている様子が正木独特の文体で鋭く鮮やかに描かれています。 |
笹屋ホテルに滞在された方々
笹屋ホテルは明治・大正・昭和・平成を通じ、信州の迎賓館としてその名を知られてきました。
戸倉温泉の開祖である坂井量之助の夢を受け継いだ妻「たか」、戦死した長男誠一の妻「千代」と若女将「みつ」の切磋琢磨、配慮の気持ち。文化・伝統、時代の声、従業員教育、ゆとりと落ち着きを持った日本建築の素晴らしさ。信頼の積み重ねが老舗笹屋ホテルを支え、発展させてきました。
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| 昭和5年8月 東京大学の藤村教授ら 日本文学大辞典原稿整理のため逗留 |
昭和13年 李王土艮(ぎん)殿下ご来館記念 |
昭和26年5月 戦後の地方事情ご視察の途次 高松宮殿下 |
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| 高松宮殿下、同妃殿下 | 清宮様(現島津貴子様)を囲んで | 昭和26年秋 義宮(現常陸宮)殿下 |
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| 昭和38年2月 皇太子殿下(現天皇陛下) |
昭和38年2月 千代が写真の裏に残した思い出 |
昭和41年 高松宮殿下をご案内 |
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| 昭和50年 常陸宮殿下、同妃殿下をお迎えし 同道する主人修一と女将みつ |
昭和51年 歓迎の人々に手をあげて応える 皇太子殿下、その隣同妃殿下 |
昭和53年 三笠宮容子内親王殿下にご挨拶 |
















