るぽ信州(イメージ)
 

るぽ信州るぽ信州

自然、文化、歴史など、多様な観点から信州を見つめ、スタッフがレポートする「るぽ信州」。
一般的な観光案内には無い、ちょっとマニアな情報ページです。

[46]ちょっと冒険 標高2000m 6月上旬の栂池自然園
[47]中山道「桟の茶屋」~前編~
[48]中山道「桟の茶屋」~後編~

[1~10]過去の記事はこちら»
[11~20]過去の記事はこちら»
[21~30]過去の記事はこちら»
[31~40]過去の記事はこちら»
[41~45]過去の記事はこちら»



[48]
中山道「桟の茶屋」~後編~平成28年11月下旬

木曽川の朝

 翌朝、チェックアウト前に、もう一度、桟周辺を散策し朝の陽ざしを映した木曽川をのんびり 眺めてきました。宿に戻るとちょうど女将さんが居たので話を聞かせて頂きました。
ここの温泉は以前は地域の人たちが共同で鉱泉を沸かして利用してましたが、当家の先代が温泉の権利を買って、温泉宿として桟温泉を昭和30年頃創業したそうです。古い写真をいくつか見せて頂きました。
その中に興味を引く写真がありました。若旦那さんがなにかで偶然見つけたらしいのですが、桟にあった茶屋の写真らしいと言うのです。古いし、いつの頃かははっきりわかりませんが、「かけはしの記」の原文にもあった、例のお茶屋さんのことでしょうか?幕末には皇女和宮の大行列も通ったことも考えると確かに休憩場所は必要ですね。

資料/木曾の桟


皇女和宮は、「旅衣ぬれまさりけりわたりけく 心もほそき木曽のかけ橋」と詠み、江戸に下る悲しみの心境をつづっています。
木曾の桟の跡が案外あっさりしていた分、その茶屋について興味が湧いてきました。女将さんにお礼を言って宿を出た後、早速、上松町駅にある観光案内所を訪ねました。事情を話すと係に方は何冊か資料を見せてくれました。係の人も資料にある内容だけでそれ以外詳しい事は解らない、ということでしたがとりあえず桟の茶屋に関する部分をコピーして頂きました。


桟の茶屋と御野立所の絵図面

 桟の茶屋は上松町史第8章口頭伝承の第1節上松町の民話と伝説の中で紹介されています。
民話と伝説の中の項目ですからなんともはっきりしませんが、子規は茶屋について書いているのでまさか伝説ではありません。他の資料では明治天皇巡幸のおりには、桟の茶屋が御野立所となったとあり、絵図面も紹介されていました。
桟の茶屋がいつからあるかは資料からは解りませんが、木曽川沿いを何度か移転しているようです。明治天皇が桟の御野立所でお休みになった時は江戸時代から移転した場所だったようで、島崎藤村が子供の頃休んだのもこの茶屋だったとあります。屋号は上野屋でした。


「昭和十四年に山頭火が通るころは、まだこの茶屋はやっていましたが昭和四十一年国道19号線の大工事で、茶屋の廃屋も取り壊され、句碑も対岸に移され、石垣も道路の下となり、ずいぶん昔と変わってきました。」と上松町史は書いています。
確かに県歌「信濃の国」にも詠われている木曾の桟ですが、現状を見れば随意分と変わったのでしょう。中山道の三大難所の木曾の桟の袂にあったお茶屋さん、みなさんどんな思いで一休みしたのでしょう。高所恐怖症の私でしたら子規の記述そのものだったのではないでしょうか。今はその形跡もありませんし、はっきりした写真や案内もありません。
はたしてどんなお茶屋さんだったのだろうと情景を想像するとワクワクしてきます。石垣が見える対岸の温泉宿が今はその代わりなのかもしれませんね。桟の茶屋に絞って調べれば詳しく判るかもしれませんが、今回は時間がなく残念でした。しかし「木曾の桟見学」がメインの旅に「桟の茶屋」という埋もれた宝物を発見したような気分で良い旅になりました。
中山道の前身は東山道、まだまだ隠れた歴史の宝物がありそうですね。


木曽/紅葉の絨毯

 子規はその後、やはり「信濃の国」にも詠われている名勝「寝覚めの床」を見学して中山道を馬籠宿へと向かっていきました。せっかくだからと、帰りに私も寄って帰ることにしました。駐車場からはけっこう山道を下ります。もう晩秋、山々の紅葉は見ごろを終えていましたが、木曽川に近づくとの名残の紅葉が絨毯を敷いて迎えてくれました。

 



[47]
中山道「桟の茶屋」~前編~平成28年11月下旬

奈良井宿

 明治24年、東京大学の学生だった正岡子規は、善光寺を参拝し、善光寺街道から中山道木曾路を通って愛媛県松山に帰っています。
善光寺街道での一場面は「るぽ信州」の初回(「正岡子規「かけはしの記」より善光寺街道・乱橋宿)に書いていますが、今回は紀行文「かけはしの記」の文名になっている「木曾の桟」へ行ってみることにしました。

 長野自動車道塩尻ICから国道19号線、中山道に入って上松宿(上松町)を目指します。途中には贄川宿、奈良井宿、藪原宿、福島宿があります。
宿場案内板も統一さてそれぞれに道の駅があって、単調な山間の道中を飽きさせないと言わんばかりです。奈良井宿は観光地としてしっかり整備されていて、散策、お買い物にも十分楽しめますので、寄り場所としてはお勧めです。

木曾の桟の石積の跡


あいにくの雨降りに今日は観光客も少なめでした。中山道をさらに進み、そろそろ場所の情報をと道の駅「木曽福島」に立ち寄り、観光案内の方に、今宵の宿の場所を聞きました。

  木曽川沿いにある一軒宿にチェックインして、「木曾の桟」を見学に行きました。「木曾の桟」は宿の前を流れる木曽川の対岸にあります。「木曾の桟」というのは、対岸に見える断崖絶壁に木曽川に沿って作られた木の桟道のことで、対岸にかけられた橋ではありません。
…と説明が難しいので画像を見てください。現在は当時の石積だけが残っているだけで、なんとも予想外れでしたが、いかに難所だったかは、かけはしの記に書かれている子規の文面から想像することができます。


木曾の桟の案内看板

 さて、子規はいよいよ「木曾の桟」にやってきます。
原文には「…福嶋をこよひの 旅枕に定む。木曾第一の繁昌なりぞ」とありますので、前日は福島宿で旅の疲れを癒したのでしょうか。善光寺街道で泊まった乱橋宿の「あやしき宿」よりは居心地がよかったのかもしれませんね。宿を出て桟に差し掛かるあたりからの状況を現代語訳にしたものから辿ってみましょう。


宿屋を出ると雨がやんだ。この間にと急ぐが、雨に追いつかれ、木陰で休んでいるとまたやんだ。とにかく、雨にもてあそばれながら進み、桟に着いた。見た目からして危ない両岸の岩が、数十メートルの高さに立っている様子は一対の屏風を立てているようだ。神話の時代から苔がはえ重なり美しく青くなっている間に何気なく咲いているツツジの麗しさは狩野派の絵の様だろうか、土佐派の絵の様だろうか。
さらに一歩進んで下を覗けば、五月雨で水かさが増えている川の勢いで渦巻く波が雲をも流すように突いては割れ、当たっては砕ける響きで大きな岩も動いてしまうような気がして、後ろにあった茶店に入り腰かけに座り目をつぶっても大地が動いてしまいそうな気持はしばらくおさまらない。
松尾芭蕉の石碑を拝んで虹の形のような小さな橋を渡ると、自分が空中に浮かんでしまいそうで、足の裏が冷や冷やとして強くも踏めないまま通る、通ってきた方を見渡せば、ここが桟の跡なのだと思うが、今は石を積み固め、苦労もなく行き来ができる、ただ蔦が力一杯延びている事が昔の面影である。

(現代語訳:桟温泉旅館ブログより引用)


正岡子規の句碑

 文中に「…茶店に入り腰かけに座り目をつぶっても大地が動いてしまいそうな気持はしばらくおさまらない」とあります。肝を冷やしながら通った子規の心境がわかる気がしますね。

【俳句】
かけはしや あぶない処に 山つつじ
桟や 水にとどかず 五月雨
【短歌】
むかしたれ 雲のゆききのあとつけて わたしそめけん木曾の桟

と子規は詠んでいます。

~後編へ続く~

 



[46]
ちょっと冒険 標高2000m 6月上旬の栂池自然園平成27年6月

 今回は、北アルプスを間近に望む、今シーズン開園間もない栂池自然園のレポートです。
麓の栂池高原駅に車を留め、まず6人乗りのゴンドラに20分ほど乗り、一旦降りて、栂大門駅から71人乗りの栂池ロープウェイで自然園駅を目指します。

歌舞伎舞台

 眼下には一面緑のゲレンデ、梅雨の合間の青空に残雪のアルプスが近づき、「今日は当たりだ!」と内心ワクワクです。
他には年配のご夫婦が2組ほどしか乗って居ませんでしたが、トレッキング用の装備は万全です。こちらと言えば、「まあ、初夏の湿原を写真でも撮りながら木道をちょっと散策…」といった気分だったので、長袖のシャツにジーンズ、夏用のトレッキングシューズまがいの靴を履き、ペットボトル、カメラ、万が一の為の雨具を入れたザック程度の軽装でした。
ロープウェイに乗るとスタッフの方の案内が始まり、自然園の現在の状況説明に少々不安になってまいりました。
本日は晴天でアルプスも良く見えるけれど、時期が早いので木道は全て雪の中、湿原中央付近にある休憩所も雪に埋もれているとのことです。


カメラスポットの新小渋橋

 まあ、なんとかなるだろうと、蕗の薹も顔を出し始めた道をビジターセンターに向かいます。ビジターセンターで地図をもらい状況を聞くと、木道、湿原は雪に埋もれているので、ピンクのテープを付けた竹の棒を目印に前に進んでくださいとのこと。
同じ信州の6月でもここは北アルプスを間近に望む標高2000m、連日30℃近くなっている里とは違うんだよと言わんばかりです。
 頂いた地図から自然園中央より少し先の浮島湿原なら往復で2時間位の行程と聞き、その位ならと雪上行軍を始めました。みぞれの様になった雪に「この靴では…」と思いながらトボトボと歩き始め、暫くして振り返ると誰もいません。どうやら他の皆さんは断念しているようです。


ハイキングのような格好で一人こんな場面を歩いているのはとても妙な感じです。それでも近づく残雪のアルプスと雪に埋もれた湿原の風景に、この時期ならではと自分に言い訳をしながら歩き、なんとか浮島湿原らしき場所に到着しました。


ディア・イーター

 僅かな広さですが雪解けの水辺に水芭蕉の他、何種類かの花が咲いていました。一部顔を出している木道では一人の女性が花の写真を撮っていました。高山植物の専門家なのか、かなり詳しいようで、それぞれの花の名前を教えて頂きました。しかし、疲れて朦朧とした頭に残った名前はリュウキンカだけでした。
「私はここで戻ります」と言うと女性は「私はこの先も行きます」と言って上りの雪面をさっさと歩いて行きました。


鹿塩温泉・山塩

 こっちはなにせ素人だから暫く休んだら戻ろう、と地図を見れば、この先には≪標高2020m自然園内最高地点の絶景!≫と書かれた展望台があります。もはや参考にならない地図でも、大体30~40分程度だろうと勝手に判断して、行ってみることにしました。

雪の壁を横に見ながら、ピンクのテープを頼りに上り斜面を上がっていきます。展望台看板が見えて来るとそこからは階段になっていて雪もありませんでした。



ディア・イーター

 ようやく展望台に到着すると、いきなり飛び込んで来るのは残雪の杓子岳2812m !! と白馬大雪渓です。
「うわ!これは…」と思わず声がでました。浮島湿原から先に行った女性が居て、「これが雪道を歩いたご褒美なんです」と言ってくれました。
彼女はその先の展望湿原を目指しているようでしたが、私はここで何枚か写真を撮り、一休みして引き返すことにしました。

 展望台からはビジターセンターが雪原の遥か遠くに見えます。「帰りは下りの雪面なので要注意」と彼女の言う通り慎重に下って行きます。雪の照り返しで顔が日焼けしていき、靴の中はビショビショで冷たくなり始めました。


暫く降りると年配のご夫婦が上がってきました。「展望台はあとどのくらいですか?」「大雪渓は見えましたか?」と聞かれ、
「30分程度、大雪渓も見えますよ。」と先達のような気分で答えていました。 雪原歩行往復3時間、何とかビジターセンターに戻ってきました。少々冒険でしたが、雪原を苦労して歩いて絶景のアルプスを見ることができた事に達成感が湧いてきます。
素人ながら山を愛する人達の心情を一口噛んだ様な気分、絞った靴下からは栂池がこぼれ落ちていました。

 栂池自然園の木道がすべて歩けるようになるのは7月中旬頃とのことです。
開園直後のオフシーズンはもちろん、シーズンのピークでも天気は刻々と変わります。装備は万全でお出かけください。麓の栂池高原駅のショップではトレッキング用品一式のレンタルもありますので、用意がなければこちらを利用するのもいいですね。


 栂池自然園の詳しい地図はこちら»