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正岡子規「かけはしの記」より 善光寺街道・乱橋宿

掲載日/2011年4月

 明治24年、東京大学の学生だった正岡子規は善光寺を参拝した後、善行寺街道、木曽路を通り、愛媛県の松山に帰る旅をしました。すでに病にかかっていましたが、稲荷山宿から猿ヶ番場峠(聖高原)を越え、麻績宿、青柳宿と歩き、難所立峠手前の乱橋に宿を取ります。乱橋は青柳宿と会田宿の中間にある間の宿(あいのしゅく)です。紀行文「かけはしの記」には、「乱橋というあやしき小村に足をとどむ」と書かれています。

 「あやしき小村」とは、どんな村だったのか―
訪れてみると、峠に向かって伸びた坂沿いに切妻・土壁の家並みが連なり、苔むした路傍の石仏や石垣に、かつて善光寺詣での旅人たちが行き交っていたころの名残をとどめています。

 「乱橋」という地名の由来は定かではありませんが、「弥陀の橋」という説があります。急峻な立峠を越えた旅人の目には天国への入口に見えたのか、あるいは信心深い里だったのか…。病弱な身体で、峠の多い善行寺街道を歩く旅は命がけだったと思われます。翌朝は馬に乗って、花を愛でながら「旅ほど気楽なものはなし」と立峠を越えた子規にとって、乱橋は旅の「救い」になったのかもしれません。

*「間の宿」は正式な宿場と宿場の間にある小規模な宿場