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擬洋風という建物「佐久市 旧中込学校」

掲載日/2024年6月上旬

 2019年に国宝に指定された松本市の旧開智学校は、同市のホームページでは「文明開化を伝える擬洋風建築の代表作である」と紹介されています。不思議に思ったのがこの擬洋風という言葉でした。洋風の「風」に更に「擬」がある擬洋風とはどういうことなのでしょうか。
佐久市にある旧中込学校も擬洋風建築で、こちらは重要文化財に指定されています。擬洋風建築というのはそれほど貴重な物なのか。今回はこの擬洋風について調べてみようと、当館からみて近い方の旧中込学校へ行ってみました。

旧中込学校 正面

上信越自動車道、佐久小諸JCTから中部横断自動車道に入り佐久南ICで降りて10分程度、住宅地の中に旧中込学校はありました。 公園と隣接していますが、駐車場は車3台程度と狭いです。受付は別棟にあって、校舎内にスタッフの方は居ません。 入場料は260円で、別館の資料館も見学できます。パンフレットをざっくり読んでから校舎の敷地に入りました。

第1教室

正面の車寄せから見上げた景色はとても日本の学校という雰囲気ではなく、昔の映画に出てくる様な西洋風の建物です。玄関には下駄箱があってスリッパで中に入りました。

1階は講堂と第1教室になっていて、オルガンや当時の木製の小さな机が並んでいました。宿直室もありますが中は畳敷き、この辺はやっぱり日本です。

宿直室
ステンドグラス風の窓

急な階段を上がると第2から第4までの教室と校長室、職員控室があります。各部屋は資料室として使われショーケースが綺麗に並んでいました。
廊下の突き当りにはステンドグラス風の窓があって暗い廊下に色が映えています。現在はレプリカですが当時のステンドグラスの窓はとても珍しくて、ギヤマン学校と呼ばれたそうです。

八角の塔があったりバルコニーがあったりで外観は随分人目を惹きますが内部は木造で洋風というより懐かしい日本の学校という雰囲気です。ショーケースの中は当時の教科書や卒業証書などたくさんありましたが建物のみの見学時間は20分程度でした。

旧中込学校

旧中込学校は、アメリカに西洋建築の勉強の為に留学した経験がある地元出身の棟梁 市川代治郎の設計・施工で、本来石造りである西洋建築をあえて木造で表現していると言われています。

棟梁、市川代治郎は旧中込学校の建築を安価な建設費でも請け負ったそうです。
そこには西洋建築に負けたくないという日本の建築家としての意地もあったのかもしれません。
旧中込学校や旧開智学校の他全国的に建築費用の大半は地域住民の寄付で賄われていました。擬洋風建築とは言え建築費は高く付くので住民の負担も大きかったようですが、それだけ近代教育に対しての期待や情熱があったことが伺えます。

パンフレットには建築までの経緯や特徴が書いてありましたが、擬洋風建築については詳しく書かれておらず、お話しを聞ける方も居ないので戻ってから調べる事にしました。インターネットで検索してみると、擬洋風建築についてはいくつかの説や論文がありました。情報量が多いので凡そ一致している部分を抜き出してざっくり纏めてみました。

日本は、明治という新しい時代になってから積極的に西洋の文化を取り入れるようになりました。
洋風の建物は文明開化の意味を分かりやすく象徴的な形で示すことができることから、明治新政府も洋風建築を推進しました。しかし、当時は西洋建築をしっかり勉強した日本人建築士は居なかったので、主に大工の棟梁が日本伝統の和小屋組という建築方法を基礎に外観を洋風建築に似せて施工。明治初期に建てられた官公庁の多くがこの方法で建築され、「学制」が発布された明治5年以降は、特に学校建築に取り入れられ流行のきっかけになったようです。

明治10年代が建築のピークで明治20年代になると、西洋建築を勉強した日本人建築家が活動し始めた事もあり数は急速に少なくなっていきます。
日本の大工が日本伝統の建築方法を基礎に見様見真似で外観を洋風に施工したので西洋建築でもない「擬洋風」、そう呼ばれたのは昭和になってからと言う説がありますが、言葉の由来についてははっきりしません。いずれにしても大正時代から戦後まで一部の西洋建築家や専門家からは評価されない時代があったのは確かなようです。

1960年代になると、擬洋風建築が文化財として指定されるようになりました。松本市の旧開智学校は1961年に重要文化財に指定されていますが当時の評価の中心は建築様式そのものより近代化に貢献した文化的意義からといわれています。
1970年代になるとこれらの建築物は単に西洋の模倣ではなく、和と洋を上手く馴染ませた独創的な建築として、当時の棟梁たちの技術や応用力を評価する動きがでました。一部の専門家からは擬洋風という呼び方を変えるべきという意見も出ています。

「擬洋風建築」を調べてみると建築に至る経緯や携わった人々の思い、また専門家による評価の変化など興味深い事ばかりで、なんだか擬洋風建築という物語を読んだ気分です。こういう物語があったことを意識して、次は旧開智学校を訪ねてみたいと思いました。

道の駅 ヘルシーテラス佐久南

佐久南ICを降りてすぐの所には、2017年に開駅した「道の駅 ヘルシーテラス佐久南」があって、随分賑わっていました。これからの季節は地野菜や果物が豊富になりますので、その土地その土地の道の駅や直売所に立ち寄るのも旅の楽しみですね。

笹屋~軽井沢間の道の駅・直売所マップ