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聖高原の別荘物語「東筑摩郡麻績村」

掲載日/2024年7月上旬
聖湖

 聖高原は当館から車で30分程度のところ、長野県東筑摩郡麻績村にある観光地で湖やスキー場、キャンプ場もあり規模は小さいながら年間を通して楽しむことができ、別荘地にもなっています。また旧善光寺街道の峠でもあることから竹久夢二や若山牧水の歌碑もあります。
観光案内にはこの他にいくつか見どころがありますが、その中に「川島別荘跡」があります。
旧日本軍の工作員だった川島芳子氏という歴史上の人物の別荘だったということですが、はたして川島芳子氏とはどんな人物だったのか?なぜこの聖高原にあったのか。そんな疑問から、今回は川島別荘跡と川島芳子氏についてレポートすることにしました。

観光案内には詳しい説明が書かれていなかったので、現地を訪れる前にまずはインターネットで調べてみました。
川島芳子氏はラストエンペラー 愛新覚羅溥儀氏の血縁にあたる人で、清朝皇族 粛親王善耆(しゅくしんのうぜんき)の第十四王女、本名は愛新覚羅顯㺭(あいしんかくらけんし)ということが分かりました。
松本市出身の川島浪速(なにわ)氏という人の養女になって、一時は松本の高校に通っていたとあります。戦時中は中国で旧日本軍の工作員として諜報活動に従事し「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」とも呼ばれたとありました。

聖高原の別荘との関係は分からなかったので聖湖にある観光案内センターを訪ねる事にしました。
スタッフの方に、この辺は川島芳子氏の別荘ができるほど以前から有名な別荘地だったのか聞くと、別荘地になるまでは白菜畑が広がっていたとの事でした。ではなぜここに別荘を建てたのか益々不思議に思えました。

復元された建物

建物は現在復元されていて現地に説明書きがあるとの事でしたので、とにかく現地に行ってみることに。 ざっくりした地図でしたが曲がる場所などスタッフの方が詳しく教えてくれたので、迷わずに10分程度で別荘入口に着く事ができました。
専用の駐車場は無いので道路の広くなった草むらに車を停め、熊笹を刈った狭い山道を50mほど登ったところにひっそりと建物はありました。時々手入れはされているようですが立ち寄る人はあまり無いようです。

標識「川島浪速、芳子居住の山荘」

「川島浪速、芳子居住の山荘」と書かれた標識がありました。説明文のあるはずの案内板は白くなっていて文字は見えなかったので、風化してしまったのかと諦めました。 実はその裏に書いてあったようなのですが、熊が出そうだからと早々に切り上げて帰ってしまったのでした。

聖博物館

困っていたところに、湖畔にある博物館で川島芳子氏について説明した資料を見たことがあるという話を耳にしたので、今度は麻績村の郷土資料館「聖博物館」を訪ねてみました。

旧善光寺街道の宿場でもあったこともあり、たくさんの資料が展示されています。 展示室を一回りしましたが川島芳子氏についての資料は見当たらないので受付で聞いてみると、展示室の外側にある廊下の壁にあるはずと言う事でした。行ってみると、「もうひとつの麻績ものがたり」というタイトルで何枚かパネルがありました。 そこには養父川島浪速氏の事から山荘ができた経緯まで詳しく書いてありました。

川島浪速氏は現在の東京外国語大学で中国語を学びますが中退、上海に渡り日本軍の通訳に採用されます。その後、清国政府の北京警務学堂の総監督となり、これを機に粛親王善耆と親交を深め、義兄弟の契りを結びます。さらに愛新覚羅顯㺭を養女とし「川島芳子」と名付けました。
大正4年(1913年)来日した川島芳子氏は東京にあった川島家から学校に通っていましたが、その後川島浪速氏の転居により松本市に移住。松本市内の高校には乗馬して通っていたそうです。

川島浪速氏が麻績を訪れるようになったのは、聴こえなくなってきた耳の治療で麻績の祈祷師を頼っての事だったと言われています。 麻績村の人や自然に魅せられた川島浪速氏は昭和8年この地に「無聖庵」という山荘を建て、療養しながら文筆活動をしました。川島芳子氏は再び中国に渡り旧日本軍の諜報活動に従事するようになっていましたが、帰国の際にはこの山荘で夏を過ごしていました。
山荘を訪ねてくる川島浪速氏の知人の中にはこの地が気に入り別荘を持ちたいと希望する人もいました。 パネルには「戦後、昭和30年代から進められた聖高原開発の大きな柱の一つに別荘地の分譲が掲げられた背景にはこうしたベースがあったようだ」と書かれていたので、 聖高原が別荘地になったきっかけはこの山荘「無聖庵」であったとも言えそうです。

聖湖畔の別荘地

昭和37年には麻績方式と言われる別荘の分譲方式が設定されました。これは 土地を買うのではなくその土地を使用する地上権を買うもので存続期間は30年間(更新後は25年)、土地の所有権は麻績村にあります。別荘地の自然保護と俗化を防止するのが目的で立木は村の所有物とし、なるべく伐採せず閑静な高原を維持するというユニークな方式で現在も続いています。

別荘地

さて、観光案内の地図に小さくポツンと記載されているだけのこの山荘跡には思いよらない物語があり、当初疑問に思っていた事への答えも出て、ようやくすっきりした気分になりました。
標高1000mにある小さな湖の聖湖は今日も静かで時折涼しい風が吹いています。 湖畔の景色もいつのようにのんびりで聖高原らしい景色です。

中国と日本、二つの祖国を持ちながら時代に翻弄され不遇の最後を遂げた川島芳子氏でしたが、信州の閑静な山荘で過ごす夏のひと時は かけがえのない心の安らぎだったのかもしれません。