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地域を結んでいた城下町の鉄道路線 上田城二の丸橋より

掲載日/2013年4月
上田城址公園の二の丸橋の下には今も鉄道の名残が

 昨年よりは随分早い桜の開花情報に3月30日ではまだ早いと思いつつも春の陽気に誘われて名所の上田城址公園を訪ねてみました。公園内の桜は開花の直前、写真は諦めて公園で言えば表玄関、二の丸橋の下を走っていた電車のことを聞こうと、二の丸橋前の上田市観光会館を訪ねてみました。

 ここは、上田市の観光案内所で無料休憩所としても利用でき、お茶のサービスもあります。また上田市は映画のロケ地としてのアピールも盛んで、過去のロケ地も紹介されています。

 土曜日だったので詳しく分かる職員さんは居ませんでしたが「なつかしの上田丸子電鉄」という本を紹介してくれました。「上田」は分かるのですがなぜ「上田丸子」なのか?不思議に思いながら本を開きました。
随分読まれたのか、かなり傷んでいます。図書館ではないので借りられないし、全部読んでいる時間もないので鉄道の生い立ち部分をコピーしてもらいました。貴重な写真も沢山あって紹介したいのですが、許可も必要ですので今回は本の表紙だけ画像アップします。

書籍「なつかしの上田丸子鉄道」

さて、明治の後期、長野県にも私鉄の建設が始まり、大正7年、隣町の丸子方面で丸子鉄道、大正10年には上田温泉軌道が開業し、その後両社が合併し上田丸子電鉄となりました。鉄道会社に温泉と付くのも面白いですが、やはり温泉地への誘客が重視された為とあります。
本の中には昭和12年2月鉄道省「鉄道路線図」が紹介されていました。
上田から真田方面に電車が走っていた事は知っていましたが、昭和初期に地方の町ながらこれほど私鉄が延びていたのかとびっくりしました。二の丸橋の下を走っていた北東線も昭和47年に廃線となり現在残っているのは上田駅、別所温泉間の別所線(現上田交通)のみとなりました。「上田市中心街から青木へ向かう国道143号線は青木線の線路の跡なので真っ直ぐなんですよ」と職員さんに教えられ、そう言えばバイパスでもないのに青木までは一直線。普段走っている道路だけになるほどの一言です。

本紙で紹介されていた昭和初期の鉄道省「鉄道路線図」

観光は名所旧跡、神社仏閣、景勝地見学など様々ですが、今、二の丸橋の下を当時の電車が走っていればそれに乗ること自体が観光で楽しいだろうな…
幼い頃、電車に乗ったはずなのにその記憶はすっかり無くなって、車窓からの景色をただ想像するだけでした。

 今、線路跡は欅並木の小道となって散策や生活道路としても使われ、紅葉の時期にはライトアップもされて賑やかです。桜の季節が終われば新緑の季節。お花見には間に合わなくても、新緑の下欅並木の線路跡を歩てみてはいかがでしょう。