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♪尋ねまほしき園原や…♪ 花桃街道 園原の里から~後編~

掲載日/2013年6月
「はゝき木館」

 はゝき木館へはカーブのある坂道を上がっていきますが、観光バスも通れる広さです。所々に咲く花桃も谷間に映えて、これはこれでまた綺麗な風景です。5分ほど上った所に阿智村東山道・園原ビジターセンター「はゝき木館」はありました。ちょっとしたショップとカフェも併設していて、見晴らしもいいです。
平日という事もあって館内はひっそりとしていましたが、来館の目的を話すと学芸員のような若い女性職員、小池さんがはりきって登場、日本の立体地図の前に椅子も用意して頂き、古代東山道の説明から始まりました。
今から1300年前、朝廷は地方を支配するために今の滋賀県大津市瀬田から宮城県の多賀城に通じる1000kmの東山道を制定しました。この東山道の最大の難所が岐阜と長野を隔てる「神坂(みさか)峠」、現在はその下を恵那山トンネルが通っています。

そんな難所は多くの旅人の印象に強く残り、広く都にも伝えられ神坂峠や園原は古事記・日本書紀・枕草子・源氏物語など多くの古文学に登場することになりました。園原には箒木(はゝきぎ)という檜があって遠くからは箒(ほうき)を逆さにしたような大きな木に見えたものが近づくと見えなくなってしまう不思議な木だったそうです。

「はゝき木館」にある日本の立体地図

源氏物語では光源氏と空蝉がこの箒木を使って歌を交わしていて、源氏物語二巻「箒木」の巻の名が付けられています。

 なるほど、これで園原と源氏物語との関係が理解できました。ちなみに、東山道は街道のように道の名前だけでなく、たとえば北海道のように行政区分の意味もあったとのことで、他に東海道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道が制定されました。なんとも勉強になります。

「はゝき木館」の中の様子

ところで、信濃の国で♪尋ねまほしき園原や…と歌われているのはなぜ?
信濃の国は第6章節までありますが名所、旧跡が歌われているのは第4章節で園原、寝覚めの床、木曽の桟橋、久米路橋、筑摩の湯、最後に姨捨。歌が作詞されたのは明治32年ですから園原はまだ花桃の里ではないはずです。

 「歴史、伝説、文化、史跡、古文学を尋ねる旅をするなら一度は行きなさいよ」と言っているのでは?と小池さん。今なら上高地や軽井沢も登場しそうですがその時代と作詞した長野師範学校(後に信州大学教育部の一部となる)の教師、浅井洌氏個人の見方もあるのでしょう。

解り易く丁寧に教えてくださった小池さんにお礼を言って施設を出ました。
園原を訪れる最初のきっかけは花桃だったのに県歌「信濃の国」の歌詞から随分と濃い旅になった気がします。
確かに尋ねまほしき園原の里、新しい信州の発見とはこういう事なんだなと思いながら花桃街道を後にしました。

「はゝき木館」
会館:9時30分~16時30分/休刊日:火曜日(祝日の場合は翌日)
※入場は無料です。