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鬼瓦に十字架 日本文化にとけ込む上田聖ミカエル及諸天使教会

掲載日/2014年2月
上田聖ミカエル及諸天使教会

 当館コンシェルジュが変った写真を持ってきました。どう見てもお寺か神社ですが屋根に十字架がありこれは教会だと言います。上田市の観光マップにある城下町寺社巡りルートには、なんと寺として紹介されていました。和風建築に近い教会は各地にあるようですが、神社仏閣様式は日本でも奈良基督教会と当教会の2箇所のみ、見学もできるということで訪ねてみました。
場所は上田市にある池波正太郎真田太平記館の裏手の通り、電話をしておいたので第17代司祭の下原牧師が出迎えてくれました。併設されている保育園の入り口から敷地に入ります。教会の玄関の屋根の鬼瓦の上には確かに十字架があり、鬼瓦にも十字架が刻まれています。

神社仏閣様式の教会

教会内陣に入ると祭壇には木彫りの十字架とキリスト像、左手前にはマリア像があります。いずれも上田市出身の農民美術で著名な彫刻家、中村直人氏(なかむらなおんど)によるものです。先ずは、なぜ神社仏閣様式の教会になったのか、経緯について訪ねました。1928年(昭和3年)奈良公園の一画に奈良基督教会が建築される際、隣接する興福寺など周りの神社仏閣の景観と調和が取れないということで洋風建築が許されず、神社仏閣様式が選択されました。一方上田市では1908年(明治37年)上田聖公会(当時の名称)にJ.Gウォーラー氏が第3代司祭として着任、その後、息子のW.Wウォーラー氏は1932年(昭和7年)に司祭となりました。

教会内陣

日本で生まれ育ったW.Wウォーラーは日本文化が好きで布教に関してもその国の文化にとけ込むことを大切にしました。特に日本の神社仏閣が好きだった彼は同系列の奈良基督教会の様式に憧れ、父親の反対を押し切って現在の教会を建てたということです。檜造りのどっしりした内部は80年以上経ったとは思えないほど綺麗でシンプルですが禅寺に入ったような凛とした空気を感じさせます。入り口から祭壇まで絨毯の代わりにゴザが敷いてありました。まさに日本文化との融合です。文化財登録すると国の指示で補修もままならないのではとの心配から検討中との事を聞いて「笹屋ホテル豊年虫は同じ昭和7年の建築で有形文化財登録していますが、当時の建築を守る為の補修は問題ないです」と、ここでつい手前味噌を出してしまいました。

彫刻の時代|中村直人

 礼拝はもちろん、挙式も執り行われていて普通の教会と変わりはないとの事、また見学する場合は保育園入り口にあるインターホンで連絡をすればOKとのことですが、行事もありますから事前に聞いたほうが確実と思います。

 先に奈良に完成しているとは言え、昭和7年の信州で神社仏閣様式の基督教会建築には費用面も含め、大変苦労したと想像できますが、日本の文化を尊重するという志が実現させたのでしょう。大切に守っている司祭に案内のお礼を言って鬼瓦の十字架を後にしました。