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南信州飯田線 秘境駅「為栗(してぐり)」

掲載日/2023年10月中旬

 秘境の宿、秘境の温泉など秘境という響きに魅力を感じる方も多いかと思います。秘境駅巡りもその一つで鉄道ファンを中心にブームになっているようです。
鉄道ファンという訳ではないのですが、紀行作家の岡田喜秋氏の本を読んでいて表紙になっている飯田線の「為栗駅」の写真になにか惹かれるものがあったのと、南信州は天竜峡より先に行ったことがなかったことから今回は遠出して「為栗駅」を訪ねる事にしました。

 秘境駅と言う言葉を広めたのは鉄道愛好家の牛山隆信氏と言われています。
本人のHPによれば「為栗駅」は2022年の秘境駅ランキングで13位になっているとJR東海のHPにありました。

つり橋

 中央自動車道飯田山本ICから三遠南信自動車道に入り天竜峡ICで降ります。国道151号線、県道1号線と50分程度走って、ナビを見ればこの辺というところですが看板もないし迷ってもいけないので近くにあったキャンプ場に行って聞く事にしました。
「秘境駅巡りですか?」とキャンプ場のスタッフの方に聞かれ、「それほどでも」と苦笑。
この場所は「信濃恋し」という景勝地にもなっているようですが、先ずは駅を訪ねる事を優先しました。

教えてもらった通り、少し戻って山道を下ると3~4台停められる駐車スペースがありました。駐車スペースの目の前がつり橋と聞いていたので、車を停める時からワクワクしてきました。

川の向こうには青い鉄橋

車を降りるとすぐに天竜橋というつり橋に出ました。思ったより長い橋でびっくり。
渡り始めると川の向こうに小さな白い小屋が見えます。あれが待合室かなと思いながら渡っていくと上流に青い鉄橋が見えて、ネットでみた風景だなあと感激です。天竜峡の日陰道を走ってきたのでこの開けた明るい風景には思わず足が止まりました。

駅のホーム

橋を渡って50mほど川沿いを歩くと線路が見えきて、振り返ると渡って来たつり橋が見えます。このつり橋を歩かないと来られないし、山と天竜川のわずかなスペースに貼りつくようにあるこの駅は、なるほど秘境駅だなと思いました。
線路の先には白い待合室がありました。

線路に沿った道
待合室には「駅ノート」が

ホームに上がって待合室を見ると訪問者用に「駅ノート」があり、見れば数日おきに書かれています。飯田線の秘境駅を巡るJR東海の飯田線秘境駅号は春と秋に数日の特別運転。普段は下車しても2時間位は次が来ないので車で来るファンも多いのかなと思いました。

 写真を撮って帰ろうとするとつり橋を4人の男性グループが渡ってくるのが見えました。
橋ですれ違って挨拶、皆さん白ワイシャツでネームプレートを下げる人もいて一般の観光客ではなさそうでした。その先を見るとジーンズ姿のおじいさんが一人立っています。 挨拶すると、どこからと聞かれそれから立ち話になりました。おじいさんは地元の方で今日は東京の友人を案内しているとの事でした。

この場所に駅ができた理由を聞いてみたところ、主に山で作業する人が利用してきた駅だと教えてくれました。
「今は秘境駅巡りの特別列車が走っていますね」と言うと「僕はその火付け役だよ」と言います。飯田線は途中下車すると次の列車まで2時間位はあるので、その間に駅でコンサートなどイベントを20年前にやっていたそうです。
どういう立場の方は聞かずに「成功しましたね~」と言うと地元がなかなか盛り上がらなかったと、ちょっと寂しそうな顔をしていました。

為栗(してぐり)駅

どこかで聞いたような話で、そういえば千曲市の姨捨駅夜景ツアーも最初はなかなか認知されなかった事を思い出しました。JR東海のHPを見れば飯田線秘境駅号が始まったのが2010年とあります。今から20年前にすでに秘境駅でイベントをやっていたのなら自分から火付け役なんだと言いたくなるのもわかる気がします。遠く駅を見つめる目からは「あの頃はよくやったよ」と聞こえた気がしました。

つり橋からの風景

 話をしている間におじいさんの友人一行は早々に戻ってきて、一緒に次の場所へと出発していきました。橋のたもとから駅方向を見れば、広い視野の中には、誰も居なくなり、また静かな時間が流れていきます。

 南信州新聞社発行の観光ガイドの秘境駅の紹介文の中に「…人々の訪れるのを静かに待っている…」という表現がありました。(*1)
列車が止まってはじめて駅なのでしょうけど、「このまま列車が来なくてもいいかな」と思わせるような風景でした。

紀行本のタイトルは「秘められた旅路 ローカル線をめぐる」で昭和31年に発行された底本を再編集して2017年に新編として復刊されたものです。
飯田線について書かれたのは1956年でまだ「秘境駅」という言葉がない60年以上前の時代です。作家は「為栗などという駅は降りても道がなさそうだ」と書いていますがその駅の写真が本の表紙になりました。(*2)
現在では駅名標が新しくなり、その位置も変わっていますが、それでも自分が当時の写真と同じ構図の中に居るという事が妙にうれしく感じた一時でした。