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小さな商都の大きな誇り「信州新町美術館」

掲載日/2024年2月上旬

長野市中心部から国道19号線を40分程走ったところに、ジンギスカンで有名な長野市信州新町があります。
信州新町観光協会のHPに掲載されている「信州新町犀川物語」という観光ガイドのページを見ると、犀川のイラストを中心にわかりやすく纏められています。観光資源としてはジンギスカンだけではなく景勝地、城址、伝説、美術館、記念館、博物館、酒蔵、梅園、ダム湖等々、人口4000人弱という規模から考えるとかなり濃い町でちょっと不思議という印象さえあります。観光協会を訪ねて観光ガイドを頂きながら町の話を聞かせて頂こうと訪ねてみました。

道の駅 信州新町

 最初の立ち寄りは「道の駅 信州新町」です。
なんとここは道の駅長野県登録第1号で、昨年は開業30年周年でした。次の道の駅まで距離があるとはいえ、この道の駅は人気で平日の朝にしては駐車場の車が多いです。

久米路橋

 3kmほど走って久米路橋に到着。ここは長野県歌「信濃の国」にも詠われている歴史ある景勝地で紅葉の頃が人気です。全景を撮るにはかなり戻らないとならないので仕方なく川沿いの雪の中を歩いて何とか半分撮りました。晴天の向こうアルプスが少し見えてなかなか綺麗でした。この橋の袂には歌碑や伝説紹介があります、また景観が良いという事から国の登録有形文化財にもなっています。

 久米路橋を過ぎると町の中心地に入ります。
観光協会は長野市信州新町支所内とあったので入って用件を伝えると観光協会の担当の方は居なくてガイドも増刷していないので無いとの事でした。全く空振りになってしまい、一度電話するべきだったかなと反省です。
観光ページにリンクを張る了解だけ頂いて支所を出ました。仕切り直しかなと思いましたが帰る途中に美術館があるので寄ってみることにしました。

有島生馬記念館(信州新町美術館)

 信州新町美術館には有島生馬記念館と信州新町化石博物館が併設されていて、入館料は共通の500円。建物は入口から美術館、記念館、博物館と続いています。美術館は最後にして、まずは有島生馬記念館に入りました。

有島生馬記念館(信州新町美術館)

有島生馬記念館は有島生馬の鎌倉にあった住居を移築したもので、全体が展示室になっていて、関連ある展示物も含めればかなりの数です。

 有島生馬は昭和20年に東京の空襲により現在の佐久市に疎開しました。同様に東郷青児や伊東深水など何人もの美術家たちが信州に疎開しています。同年疎開した美術家たちが尽力して「全信州美術展覧会」を開催。昭和23年には「長野県美術展」(県展)となり有島生馬は洋画の審査員として選出されています。
昭和25年信州新町を訪れた有島生馬は、信州新町を流れる犀川のダム湖を「琅鶴湖(ろうかくこ)」と命名。その後も何度かこの地に訪れるなど親交が深くなったようです。

有島生馬記念館のラウンジ

中央から戦火を逃れて疎開していた美術家たちは戦後の一時期、県下各地で地元の中堅作家たちと県展や地域独自の活動を展開していたとあることから長野県に美術館が多いのはこういう理由もあるのかなと思いました。

記念館のラウンジに出てみました。外は雪景色ですが今日は晴天なので雪の白さも引き立ってとても綺麗です。一面のガラス窓からの日差しも暖かくてなんともいい空間です。

バルコニー

続いて化石博物館に入りました。
ここには化石の世界に魅せられた地元出身の西沢 勇氏のコレクション6000点が寄贈されています。外には32mの恐竜が復元されていて子供さんは喜びそうです。ここにもバルコニーがあって記念館同様に犀川方向に大きく窓を取って景色がいいです。恐竜や化石に関する絵本が入った本棚があって閲覧できるようになっているのでお子さん向けのスペースです。

最後に美術館へ。
美術館は入口の受付のある建物の2階なのでいったん戻って階段を上がりました。
信州新町と縁があり日本水彩画会を創立した赤城泰舒(やすのぶ)の紹介で寄贈された版画家の小泉癸巳男(きしお)の作品がメインで展示されています。この美術館のコレクションの主要作家ということで展示数も多いのですが、3室ある展示室がまた立派でびっくりしました。この町にこれほどの美術館があるのはなんとも驚きで、不思議な町だなという印象はまた強くなりました。

信州新町美術館

作品以外であれば写真はOKと聞いていましたが、HP掲載の了解を頂こうと受付に申し出ると館長さんが出てきてくれて了解を頂きました。
館長さんは千曲市や笹屋ホテルの事も良く知っているということで、お話を聞くことができました。
「町の規模の割には観光面や施設がかなり充実しているようですが」と聞くと館長さんもその辺は実感していると言います。古くから商業地として栄え発展してきた信州新町は経済的も豊かだったこともあり、文化、芸術に対する関心も高く、多くの芸術家と親交を深めることができたこと、商業地ならではの助け合いの精神や何かにつけて前向きな気質があるからではないかとの事でした。

パンフレットには昭和22年に初来遊した二紀会創立委員の栗原 信氏の提唱で昭和35年に信州新町美術館条例が制定され、昭和57年に有島生馬記念館を併設して当美術館は開館、地域の誇りとあります。長野自動車道が全面開通したのが1993年。これにより国道19号線の交通量はぐっと少なくなりますが、同年に「道の駅信州新町」は道の駅長野県登録第1号となっているのも商業地ならではと頷けます。

外まで見送りに出て頂いた館長さんに「どっしりとした立派な建物ですね」と言うと、住民の寄付で建てられたと教えてもらい、改めて文化や芸術への関心の高さと団結力に驚かされました。館長さんのお話から最初に感じた「なにか濃くて不思議」の答えは、この町に伝わる「新町気質」だったのかなと思います。

お礼を言って国道19号線を戻りながら頭に浮かんだのは有島生馬記念館のバルコニー。
眼下には犀川ろうかく湖、対岸には梅園があるし、春には景色をみてのんびりするために再びこの美術館に来るのもいいなと思いました。