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涼しさ倍増の空中参拝 小諸市「布引観音堂」

掲載日/2024年10月上旬

 残暑が続く9月、屋外で少しでも涼しい所はと思いついたのが小諸市の布引観音でした。標高721m、岩からせり出した観音堂なら涼しいだろうという期待と、参道入口に鉄道駅があったという情報も興味深くて訪ねてみることにました。


参道入口

上信越自動車道を東部湯ノ丸ICで下りて県道166号線に入り、千曲川を渡ってから県道40号線を5分ほど小諸方面に走ると右手の山の岩肌が一部白くなっている所がありました。まさに布を引いたような岩肌で、布引観音参道はここかなと駐車場を探しますがそれらしき場所は見あたりません。
布引観音温泉という宿があり、玄関の前には観音様が置かれていたので関連はあるようですが、布引観音への参道はここではないようです。地図を見るともう少し先のようなので更に数分走ると駐車場が見え、車が数台ありました。当館からは高速を使って50分位で到着しました。

崖の上に朱色の観音堂が見える

参道と言っても、足場の悪い急な山道を20分程度登る事になるので安全の為にトレッキングシューズに履き替えました。
沢沿いの参道はぬかるんでいる所もあり、特に石段は滑りやすいので気を遣います。そういえば参道入口に「入山は自己責任で」と書いてあったのを思い出しました。「これじゃほとんど登山だな」と思いながら暫く登ると前方に仁王門が見えてきました。
いよいよ観音堂も近いと期待しながら仁王門の前に立つと、裏山の崖の上に朱色の観音堂が見えました。近くに見えますが回り込んで行くので更に山道を登ることになります。

岩をくりぬいたトンネル

気を取り直して登っていくと、しっかり整備された石段があって先が開けていました。ようやく本堂に着いたかと頭を上げると最初に目に入ったのは軽自動車でした。低い山なのでどこからか回り道があっても不思議ではないのですが、この位置からは見えない所に置いてほしいと思いました。
このお寺の正式名は布引山釈尊寺で、創建は奈良時代724年と言われています。戦乱の時代にいく度か火災に会いましたが再建されてきました。本堂からは谷越に朱色に塗られた観音堂が見え、青空に映えてとても綺麗です。

観音堂

一息入れたところで早速行ってみることにしました。
本堂から谷沿いに歩き、岩をくりぬいたトンネルを抜けると観音堂が見えてきました。直近のメンテナンスは何時かわかりませんがとても綺麗に保存されています。観音堂の欄干部分は崖からせり出しているので空中ということになります。山形県の立石寺五大堂も崖からせり出していますが欄干部分は落下防止の為2重になっていました。こちらは一重で高さも低いのでけっこう怖くて、近寄るだけでゾクゾクと涼しくなってしまいました。
それにしても江戸時代後期の建物とは言え、この建築技術には驚かされます。この観音堂が麓からも見られればもっと参拝客が増えそうな気がしました。

駐車場

本堂に戻って日影のベンチで休んでいると、時折涼しい風が吹いてきて里の暑さを忘れさせてくれます。猛暑の毎日ですが暦の上ではもう晩夏。静かな本堂に蝉しぐれが響いて、芭蕉が立石寺を訪れた時もこんな蝉しぐれの日だったのかな、と暫く揺れる蓮の葉を眺めていました。

駐車場に戻ると来た時よりも車の台数は増えていてちょっとびっくり。皆さん靴を履き替えたり、リュックを背負ったりと参道の状況はちゃんとわかっているようです。

橋脚の跡

さて、駐車場に戻ったところでここが「布引」という鉄道駅だったというお話です。
明治以降、日本各地で各地で官設鉄道(旧国鉄)が開通し、1910年(明治43年)には民間資本による鉄道網の拡充を図る目的で軽便鉄道法が公布されました。これにより1920年(大正9年)に小諸駅から現在の佐久市望月まで結ぶ目的で布引電気鉄道が設立されました。1926年(大正15年)には小諸駅から7.42km先の島川原駅まで開業しましたが、経営不振により1934年(昭和9年)に休業しそのまま廃業となってしまいました。
爆発的に広がった軽便鉄道でしたが、不況と路線バスなどの普及により1930年代には全国的にも衰退していきました。
布引駅も当時は観光客で賑わったようですが今では駅の面影は全くありません。

駐車場に案内板がありましたが、参道の案内だけで駅についての説明は見あたりませんでした。ただ、駐車場の前を流れる千曲川には橋脚の跡が残っていました。コンパクトな車両が鉄橋をゆっくり走っていた様子が想像できて「今なら大人気かな」と思いました。

白い岩肌

帰りは来た道を戻り、白い岩肌の写真を撮って帰りました。
調べてみると、やはり「牛に引かれて善光寺参り」の伝説の元になったと云われる「布岩」でした。伝説は有名なので内容はここでは割愛しますが、布引観音と呼ばれる元にもなったと考えられます。地質学的には大昔に地層の割れ目に火山灰が入り固まったもので、所在地の東御市では市の名勝地に指定しています。

それにしても、直線的ではないところがまるで風になびく白い布のようで伝説の元になるのも分かるような気がします。昼間でも見られるので妖怪伝説にはならなかったようです。