アメリカの建築家 フランク・ロイド・ライト(1867-1959)は、旧帝国ホテル新館の建築にあたり彼に師事していた二人を助手に付けました。一人は当館の「豊年虫」を設計した遠藤 新、もう一人はライトと共に来日したチェコ出身のアントニン・レーモンド(1888-1976)でした。
新はライト式の設計を継承していきますが、レーモンドは来日した3年後に日本で独立。ライトから離れ、彼自身のモダニズム建築へと進みます。レーモンドは軽井沢の存在を知ると1933(昭和8年)に別荘兼アトリエとして「夏の家」を建てました。国内でたくさんの建物を設計しており、軽井沢では「夏の家」のほか聖パウロ教会や個人宅も設計しています。
2023年9月には重要文化財にも指定された「夏の家」、またモダニズム建築とはどのような建物なのか、夏にはまだまだ先の軽井沢を訪ねることにしました。
「夏の家」は近代建築の『モダニズム五原則』を世界に訴えたル・コルビュジエの「エラズリス邸計画案」(1930年)に着想を得た木造建築で、横長連続窓と逆折となっている屋根の形状が特徴です。1986年、塩沢湖を中心に美術館や遊戯施設、レストランが点在するリゾート施設「軽井沢タリアセン」に移築され「ペイネ美術館」として活用されています。
まだ4月の中旬、花も緑も無い時期なので来園客も少なく駐車場の車も疎らでした。駐車場にはこの日は無料という案内があったので時期によって有料になるようです。
「ペイネ美術館」とセットの入園料を支払って中央ゲートから入ると正面に小川があり木道を進むと右側に塩沢湖、その向こうには残雪の浅間山が綺麗に見えました。
湖沿いを暫く歩くとレンガ色の独特なデザインの建物が見えてきました。
受付を済ませてリビングに入ると湖に向かって大きな窓が全面に広がっていました。横長連続窓はコルビュジエのモダニズム原則の一つです、館内は撮影禁止のため後日画像をお借りした時にその構造についても教えていただきました。
横長連続窓は「芯はずし」と言う技法で雨戸と窓の建具を柱の前後に配置し、それぞれを戸袋に収納する事によって解放された空間にすることができるというもの。つまり、戸袋収納によって雨戸もガラス窓も無くなり部屋と外との空間が一体化します。コルビュジエが設計していたエラズリス邸は結局未完成でしたが、レーモンドは横長連続窓に日本特有の戸袋を使って完成させたところが凄いです。
2階へはスロープを使いますがこれはの前述のエラズリス邸の原案通りに実現させているという事です。2階には模型の入ったショーケースがあり、建築当時と移築後の双方の模型が並べてありました。
建築当時の模型では各部屋の雨戸がすべて開けられていて建物全体の解放感が伝わります。現在は1階のリビング以外は雨戸が閉められているので受付の方に理由を訊くとペイネの原画に光が当たらないようにとの事でした。
ちなみにレーモンドとペイネの関係は全くなく、「夏の家」の移築が決まってから活用方法を検討する中でペイネに相談し決定したそうです。
(レイモン・ジャン・ペイネ フランス人男性画家 1908-1999)
外観の撮影は自由との事でしたので外に出て建物を一周してみました。
湖の反対側にはアメリカ人建築家 W・M・ヴォーリズが昭和6年に設計した旧朝吹山荘「睡鳩荘」が移築されているので、比較するとレーモンドのモダニズム建築が分かりやすいです。
「夏の家」の逆折になっている屋根では雨水が集中するのでがっちりした雨樋が付けられています。この雨樋の構造について、建築史家の藤森照信氏は公益財団法人 窓研究所の連載記事の中でこう書いています。“木造の屋根を逆折りにしたことで、草創期モダニズムの根本精神ともいうべき“脱伝統、反伝統”を可能とし、かつ、モダニズムの主流であるバウハウス流の箱型を脱し、モダニズムに造形的ダイナミズムを注入することに成功している。” (*1)
園の出口に向かう途中に「湖水」という白一色で木造平屋のレストランがあり、なんだか昔の軽井沢がそのままあるような風景でした。商業施設の賑いや別荘開発の話題が尽きない軽井沢ですが、ここだけは変わらない感じがして訪問後に改めて軽井沢タリアセンについて調べてみたところ、10年ほど前のインタビュー記事が見つかりました。(*2)
そこには、昭和36年にスケートブームを受けて塩沢地区の有志が水田を掘って塩沢湖を作りスケートリンクに整備、スケートブームが去った後は夏型施設へと形態を変化させ、歴史的建築物の移築という文化事業にも着手した流れが書かれていました。
また、記事の中では “ブームを追って新しいものを作るのではなく軽井沢の文化や風景を残すことがタリアセンの役割とし、軽井沢で培われた文化や文学だけでなく、昔と変わらない自然風景を保つことにも力を入れ10年、20年後も変わらない軽井沢の姿を残して行きたい” といった記述もあります。
今から30年ほど前、まだ「塩沢湖レークランド」と呼ばれていた頃に来た時と「あまり変わっていない」という印象を受けた理由は、軽井沢タリアセンの経営方針にあったようです。
ゆったりとした空間に「夏の家」はとてもよく似合っていて移築先が軽井沢タリアセンでよかったと思いました。 パンフレットの表紙にあるキャッチは ”湖畔に広がる自然と文化とミュージアム”。軽井沢の中心部から離れて懐かしい軽井沢の空気を楽しむにはお勧めの空間です。