「恋渡神社」という粋な名前の神社が小県郡青木村にあります。 青木村は上田市から松本市方面に向かう途中の山間の村ですが、国宝の三重塔や島崎藤村ゆかりの温泉地、石仏群など観光スポットも豊富。また、東急グループの創業者 五島慶太氏や俳人 栗林一石路氏の出身地としても知られています。今回は数ある観光スポットのなかでその名前が印象的な「恋渡神社」を調べてみました。
青木村のホームページでは「恋渡神社」は入奈良本地区にある神社でその名前から信州の婚活スポットとして密かに人気になっていると紹介されています。
神社名にある「恋渡」の由来についての詳細は不明で、建立当初は「越戸」という地名だったものを、ある歌人が風情ある漢字「恋渡」に当てはめたという説があるとの事。地名まで変えてしまった歌人とはどのような人なのか、何か伝説があるのか、建立はいつの時代なのか。いくつかの疑問から現地を訪ねる事にしました。
県道181号線を松本方面に走ると赤い文字で「恋渡神社」の案内板がありました。
案内に従って進むと民家の間の狭い道に入ってしまい、間違ったと思って引き返そうとしましたが、バックするにはかなり厳しい道だったのでそのまま進むことにしました。対向車が来たらどうしようかとヒヤヒヤしながら進むと、どうやら道は合っていたようで神社が見えてきました。
本殿の横に車を止め、神社を参拝。建立はいつか分かりませんが拝殿も本殿も新しいので何度か改築されているのかと思いました。
拝殿の中には何もなかったのですが、事前に調べた情報にあった通りお賽銭箱の横にお守り販売用の箱がありました。お金の投入口に500円を入れて自分で蓋を開けて取り出す仕組みで、箱の中にはぎっしりお守りが詰まっていました。野菜の無人販売みたいでお金を入れないで勝手に持って行っても分からない状況ですが、それこそ罰当たりで、苦労してここまで来たのにご利益がなくなるようなことはしないだろうと思います。
他には誰も居なくて足跡も車の跡もないので直近で他の人がいつ来たかはわかりません。密かな人気とはこういう事なのか、あまり静かなので早めに帰る事にしました。木々の間から神社の下の方に会社らしい建物が見えましたが、そこへ降りる道はなさそうなので対向車の心配をしながら元の道を戻ることにしました。
無事に広い道に出たところで、神社には由緒書や歌人の伝説に関する情報はなにも無かったので近くにあった食料品店に入って聴いてみることにしました。
お店にはおばあちゃんが一人で居て神社の事について聞くと快く話してくださいました。
神社は建立当初から「恋渡神社」という名称で、ここは東山道の入奈良本宿だったから保福時峠を越える時の安全を祈願して建てられたとの事。何年か前に観光の為に婚活のお守りを作って宣伝するようになり店でも販売を頼まれ、最初の頃はけっこう売れたとのことでした。
春と秋にはお祭りをやっていてその時は賑やかになるが普段は静かで、今は保福寺峠が通行止めなので益々人が通らなくなったそうです。
道幅が狭くて苦労したことから「下に参道があるようでそこを歩いて登ればよかったですか?」と尋ねると「あの参道は急で危ないからやめた方が良い」と教えてくれました。近くまで車で行って正解だったようです。
神社について詳しい事が書いてある本を見たことがあると言って探してくださいましたが、
見つかりそうもないので図書館に行くことにしました。
図書館に行く前に一応参道の前まで行ってみると旧字で「戀渡神社」と書かれた鳥居がありました。かなり古そうですが由緒書のようなものはなく人が歩いた跡もありませんでした。
図書館に着いてスタッフの方に事情を話したところ時間をかけて探してくださいましたが、それらしい本は見つからず代りに青木村の歴史や文化などを書いた本を沢山用意してくださいました。神社に関する部分を何冊分かコピーしてもらい読んでみましたが「恋渡」と名づけた歌人はどこにも登場しませんでした。しかしある資料に建立時期が分かるような記述がありました。
由緒は不詳という事ですが明治40年8月に無格社の稲荷神社と稲葉神社を合併改称したとあります。Webで青木村の村史を検索すると明治初期の地図があり、そこにはすでに「戀渡(恋渡)」という地域名が記されています。この地図には秋葉神社と稲荷神社が記されていますが「恋渡神社」は記されていません。
(資料にあった稲葉神社は秋葉神社の事ではないかと思われます。)
神社合祀については1906年(明治39年)第一次西園寺内閣が神社合祀を全国に励行し、次の桂内閣もこれを引き継いだという史実がありますので次のように推測できないでしょうか。
政府の命もあり、明治40年8月 当時あった秋葉神社と稲荷神社は合祀され同時に地名をとって「恋渡神社」と命名されたのでは…。
ただ、そうなると建立は明治40年となりますが、青木村のホームページには建立当初は「越戸」という地区だったと記載があるのでこの説は崩れてしまいます。
また、ある歌人が「越戸」を「恋渡」に変えたという説も結局出どころが分かりませんでした。
現地を訪ねる前に持った疑問はそのままになりましたが、詳細が不明なら、「恋渡神社」がある入奈良本地区はかつて東山道の宿場町、都から旅してきた歌人も多く逗留したと考えられるので、ある歌人が宿場の誰かに恋をして「越戸」と「恋渡」を絡めた歌を作って渡したことから名付けられたのではないか…等々、参拝しながら各自自由に想像してもいいのかなと思いました。
さて、合祀された「恋渡神社」の御祭神は火産霊神と倉稲魂神。火産霊神は防火、商売繁盛の他に恋愛、縁結にもご利益があるそうなので、名前だけではないようです。なお、参拝は参道を上るのはやめて車で案内に従って走り、途中の広い場所で車を止めて徒歩で行くことをお勧めします。