戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」全室源泉100%の温泉宿戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」全室源泉100%の温泉宿

るぽ信州るぽ信州

上田城「南北櫓」の今昔物語 ―小説「豊年(ほうねん)(むし)」より―

掲載日/2026年3月上旬

 当館の数寄屋造りの別棟「豊年虫」は、オープン当時は「笹屋ホテル・別荘」と呼ばれていましたが2003年に登録有形文化財に指定されたのを機に「豊年虫」と名付けられました。この名前の由来は、昭和2年に当館に2週間逗留していた小説家 志賀直哉がその時の出来事を元に小説「豊年(ほうねん)(むし)」を執筆したことにあります。本文は文庫本なら11ページ程度と短いですが、主人公が上田見物に行った時の様子が紀行文のように書かれていて読みやすい小説です。
今回は、主人公が話題にしている場所は当時どんな景色だったのか、聖地巡礼ではないですが古い写真と現状を照らし合わせながら小説の中を主人公と一緒に歩いてみる事にしました。


上田見物を思い立った主人公は、当館から歩きで千曲川に架かる木製の大正橋を渡り、途中の戸倉小学校、造り酒屋(当館蔵元 坂井銘醸)の脇を通りながら戸倉駅に向かいます。地元の者としては身近な場所が多く出てくるのでなんだか主人公と同行しているような気分になります。

戸倉駅から電車に乗り上田駅に到着した主人公は、人力車に乗って上田城から見物します。

―真田幸村が築いたという城が町端にあり、それから見物する。大手にあたる所の古い監獄が今は空き家になって、薄よごれた白い土塀に囲まれていた。―

最初は上田城の近くにあった監獄について書かれているのかと想像しながら上田市のHPなどで調べてみると明治26年の上田監獄所という写真が見つかりました。驚いたのは、建物が二の丸橋を渡った先、つまり城内にあったことです。

上田監獄所は明治18年に建てられ昭和3年に移転したと説明があることから、主人公が見たのは取り壊し前の建物だったということになります。見つけた写真は主人公が訪れる30年以上前の写真ですが、本文と同じ白い壁の監獄で「なるほどこの景色か」と同行している気分も深まります。

明治6年、廃城令が出て全国のお城が払下げになり建物は壊され、土地は売却されました。上田城も例外ではなく建物や土地が競売にかけられ二の丸には桑畑ができた時代もあったようですが、その後上田市が買い戻したり寄贈されたりして監獄の後は遊園地になり、現在は本丸への遊歩道と上田市立博物館になっています。

二の丸橋の下は昭和47年まで上田交通真田・傍陽線の電車の線路が敷かれていました。小説には書かれていませんが昭和3年の開通なので主人公が立ち寄った時は工事中だったのかもしれません。
二の丸橋の下の鉄道路線については過去の記事でもご紹介しています。
*2013年4月のるぽ信州( 地域を結んでいた城下町の鉄道路線 上田城二の丸橋より

上田市のHPでは他にも上田城払下げ後のエピソードが当時の画像と一緒にいくつも紹介されていましたが、本丸の櫓については思いもよらない事が書かれていました。

廃城令によって、上田城の本丸に有った7つの櫓の内6つが取り壊されることになりますがそのうち二つは上田遊郭の「金秋楼」と「万豊楼」に売却され明治11年に貸座敷として移築されたとあります。櫓がなぜ貸座敷になったのか経緯について詳しくは書かれていませんでしたが、櫓は使い道があまり無いので随分安く売られたようで時代の転換期とは言え随分驚かされるエピソードです。

建物はかなり傷んでいるように見えますが櫓の材料を使っているだけあって風格があります。
写真を拡大すると瓦にある家紋も最後の藩主松平家の家紋で現在の櫓と同じです。

さて、貸座敷のその後については一旦置きまして、ここで小説に戻る事にします。

―車夫は畑道を山の方へ急いだ。私の註文で今度は曲輪見物であるー
―新しい家は丈が高く間口が狭く、やくざに見え、古い家は屋根が低く間口が廣く、どっしりとしていたー

主人公は上田城の次に曲輪見物を希望しました。
ここでいう曲輪(くるわ)とは遊郭の事で、「畑道を山の方へ」という文面から主人公が見物したのは上田城より北郊で開業していた上田遊郭、つまり櫓が移築された先ということになります。新しい建物より古い建物の方が貫禄があって気に入ったようです。

主人公が訪ねたのは移築後50年以上も後。車夫もそこまでは知らなかったのか小説では触れられていませんが、「金秋楼」と「万豊楼」は昭和4年まで営業していたので主人公が訪ねた時にはまだ貸座敷として使われていた事になります。 もしかしたら「主人公が見た古くてどっしりした家はこの写真の貸座敷だった」と思いたくなるような場面です。

主人公が上田見物をして間もなく「金秋楼」と「万豊楼」は廃業することになり貸座敷は暫く放置されていましたが、昭和16年に今度は東京の料亭「目黒雅叙園」が購入し東京に移築されることになりました。
これを知った上田市民から、櫓を買い戻し城跡に復元しようと保存運動が起こります。
当時の上田市長を会長に上田城址保存会が結成され、市民の寄付により買い戻されて昭和18年に復元工事が始まりました。工事開始から6年後の昭和24年に南櫓、北櫓として完成、その後2回に渡り保存修復工事が行われています。
上田城で一番のカメラスポットになっている現在の姿からは想像できない、櫓の今昔物語です。

今回は小説の中で主人公に同行することがきっかけで明治以後の上田城の歴史について随分と勉強になりました。主人公が遊郭で建物の評価をする場面では「その古い家は上田城の櫓だったかもしれませんよ」と言ってみたくなるほどワクワクする楽しい旅になりました。

小説の中で、見物が終わって上田駅に戻った主人公はアーク橙に雪の様に舞う無数の蜉蝣(かげろう)の様子に驚かされます。

―「この辺で豊年虫(ほうねんむし)といって、これの多い年は作がいいと喜ばれます」 梶棒を下した車夫は汗を拭きながら説明したー

豊年虫に興味を持って宿に戻った主人公は再び豊年虫と向き合う事になり小説のタイトルへと繋がっていきます。

* 引用部分出典:志賀直哉『豊年蟲』(岩波書店刊 志賀直哉全集より)
  旧仮名遣いは新仮名遣いで表記しています。