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隠れた観光スポット 佐久市「関所破りの桜」と「五郎兵衛記念館」

掲載日/2026年5月上旬

 信州の桜は4月中旬から見頃になってきます。
桜の名所と言えば千本桜祭りが行われるような公園や城郭もあれば神社仏閣の庭や里山などの高台に凛と咲く一本桜もあります。
樹齢が長い一本桜の多くには信仰や伝説との縁があり地元の人々から大切に守られてきました。
佐久市の旧浅科村には「関所破りの桜」という一本桜があります。ちょっと物騒な名前ですが、桜が関所を破ったというようなおとぎ話ではなく新田開発に心血を注いだ市川五郎兵衛の偉業が基になって付いた名前で、佐久市のHPでは凡そ次の様に紹介されています。

江戸時代の初期、上州(群馬県)南牧村出身の土豪、市川五郎兵衛は1626年(寛永3年)、信州小諸藩から旧浅科村(現佐久市)の新田開発の許可を貰い、蓼科山の湧水を水源として約20キロの用水路を作り五郎兵衛新田と呼ばれる新田開発に成功しました。
感謝した村人は彼の没後100年の年に彼の本名市川五郎兵衛真親(さねちか) の名を取って真親(さねちか)神社を創建します。



これに合わせて彼の故郷群馬から桜の苗木が贈られることになりました。村人は市川家の縁のある高崎の慈眼寺の枝垂れ桜の苗木を貰い、碓氷峠の関所を通りますが通行手形がありませんでした。しかし五郎兵衛の偉業に関所の役人が温情で通関させたことから「関所破りの桜」と呼ばれるようになりました。

言い伝えという事になっていますが、五郎兵衛新田や真親神社、植えられた桜の木も現存していることから真実味が増してきます。長野県内には有名な一本桜がたくさんありますが、今回は佐久市の「関所破りの桜」を訪ねる事にしました。


佐久南ICから国道142号線を白樺湖方面に10分程度走った所から案内板に沿って住宅地に入ると五郎兵衛新田の案内図があり、蓼科山からの開拓地までの水路の様子が解りやすく書かれています。

「関所破りの桜」は昭和48年に建てられた「五郎兵衛記念館」の隣にあります。
高台にある記念館に到着すると駐車場は満車状態。そんなに人気があるのかなと思いながら桜を見に行くと見学者は数人、聞けば記念館内で勉強会があるとの事でした。

樹齢250年を超えるという枝垂れ桜はさすがに貫禄があり、眼下には佐久平、その先には雄大な裾野を広げた浅間山と春の清々しい景色が広がっています。桜の回りにはロープが張ってありますが一周することができるのでいろいろな角度から写真が撮れるのも魅力です。

桜と景色を堪能した後、五郎兵衛の新田開発に関する資料や古文書が収蔵されている「五郎兵衛記念館」に入ってみることにしました。
受付名簿に記入しているとスタッフの方が館内を案内してくださるとの事。写真撮影の話をすると「桜を上から見える場所がありますよ」と言ってわざわざ資料室に入る前の窓を開けくださいました。他に見学者が居なかったとは言え随分と親切にしていただきました。


資料室では市川家の先祖が一時は武田信玄の家臣であったことや五郎兵衛が徳川家康からの仕官の誘いを断ってまで新田開発に着手したこと、他の地域の水を減らさないように遠く蓼科山の麓の湧水に水源を求めたことなど、五郎兵衛の偉業について丁寧に説明してくださいました。展示物の中には、複製ですが家康から五郎兵衛宛てに新田開発を許可する朱印状もありました。

この資料室には五郎兵衛関係だけでなくこの地に伝わる古文書類も展示されていて、江戸時代に雲仙普賢岳が噴火した時の様子を伝える絵や文書など珍しい資料もあります。
説明いただいたお礼を言って記念館を出る時に「いつもこうして説明してくださるのですか」と聞くと「嫌だと言われない限りはしますよ」と笑っていました。

駐車場の先にある真親神社を参拝して高台を下りた辺りで車を停めて振り返ると「関所破りの桜」は里を見下ろすように咲いていて、なんだか地域の米作りを見守っているようにも見えます。
地元ではこの桜の開花に合わせて水稲の苗代作りを始めることから「苗代桜」とも呼ばれているそうです。

五郎兵衛新田で獲れるお米は五郎兵衛米と言って今ではなかなか手に入らない人気のお米になっていますが、そもそも五郎兵衛はなぜ佐久の地で新田開発に心血を注いだのでしょうか。


調べてみたところ、下記のような記述が見つかりました。

  • 当時、南牧村は高山に囲まれ開墾適地がなく一族を養うには十分な領地ではなかった。
  • 佐久の平地を見て生来の開拓魂と殖産興業に対する情熱が新天地の開発を駆り立てた。
  • 佐久郡は市川家が武田信玄の家臣であった時代50年にわたり市川家の所領地でもあった(武田家滅亡により没収された)ことから住民に対する善政の意もあったのではないか。

五郎兵衛は私財を投じ借金までして開削した水路の用水権を全村民の所有とし、自らは何の特権も求めず70歳で仏門に帰依し94歳の天寿を全う、遺言により村内を見下ろす丘に葬られたとあります。元々市川家の所領地だったという背景は大きな理由かと思われますが、南牧村から見れば佐久の開けた土地は五郎兵衛にとっては憧れの別天地だったのかもしれません。

今回は晴天の中でのんびりと満開の桜が見られ、記念館では親切に説明していただきました。
桜を見ている時に「ここは知る人ぞ知る穴場だね~」と言っている人がいましたが間違いないようです。
佐久市HPの紹介文の最後には「学習の場として楽しめる隠れた観光スポットです。」とありました。

*訪問日 4月9日
*五郎兵衛記念館:入場料/無料、休館日/月・火曜日・祝日の翌日