戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」全室源泉100%の温泉宿戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」全室源泉100%の温泉宿

歴史と振り返る笹屋ホテル歴史と振り返る笹屋ホテル

笹屋をとりまく人々笹屋をとりまく人々

笹屋ホテルゆかりの人々

遠藤 新(えんどう あらた)
遠藤新

東京帝大卒業後、フランク・ロイド・ライトに師事し渡米。帰国後ライトの下でチーフアシスタント、帝国ホテルの設計管理、その後、共同設計作品を発表。独立後は、自由学園や甲子園ホテル等の作品を遺す。「生活に徹底した建築」を主張、住宅作品も多い。

笹屋ホテルのギャラリー豊年虫は、数寄屋造りの別荘「乾荘」として氏によって設計されました。歴史的建造物として、平成15年有形文化財に指定され、歳月を増すごとに風格に磨きがかかる建物となっております。
詳しくは『豊年虫』のページをご覧ください。

阿部 貞著(あべ さだき)
阿部貞著

造園家。相馬中、二高、東大(農学部)と、遠藤の同期生。卒業後は台湾の研究所や農科(東京農工大)教員の職に就くが、学生時代から庭仕事に魅せられ、植木職人として現場に入る。大正6年卒業論文「日本庭園ニ於ケル水流及池瀑」が東京大学に残されている。

笹屋ホテル『乾荘』の作庭を担当しました。遠く信濃の山を背景に、自然の木々と千曲川源流の川石を配し、池をめぐらし伸びやか。氏が丹精込めて造り続けたものです。

志賀 直哉(しが なおや)

明治16年、宮城県石巻市生まれ。白樺派を代表する小説家のひとりで、代表作に『暗夜行路』、『城の崎にて』などがある。

短編小説「豊年虫」は、昭和2年、当館逗留中に執筆されました。
豊年虫とは蜉蝣(かげろう)のこと。蜉蝣をたくさん見る年は豊作になると言われています。

中山 晋平(なかやま しんぺい)

明治20年、長野県生まれ。『兎のダンス』『カチューシャの唄』など、童謡・流行歌・新民謡などに多くの傑作をのこした。

戸倉温泉の地元青年会が中心となって取り組んだ新民謡制作で、『千曲小唄』を作曲しました。戸倉温泉を中心に広く歌われ、盆踊りの定番となりました。

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ)
竹久夢二

明治17年、岡山県生まれ。大正浪漫を代表する画家。挿絵画家として「夢二調」と呼ばれる抒情的な美人画を創作、人気作家となった。詩人として「宵待草」などの作詞も手がけている。

『千曲小唄絵はがき』を制作しました。また、創作の一部は坂井銘醸の酒造コレクションや当館ライブラリー「石楠花」に収蔵展示されています。

正木 不如丘(まさき ふじょきゅう)
正木不如丘

明治20年、長野県生まれ。医師にして作家、フランス留学を経て結核治療の富士見高原療養所を開設。夢二の最期を看取った。幼少期を長野で過ごしている。

作品集第二巻中の『竹久夢二/箱書』には、笹屋主人の修一と語りあっている様子が正木独特の文体で鋭く鮮やかに描かれています。

笹屋ホテルに滞在された方々

笹屋ホテルは明治・大正・昭和・平成を通じ、信州の迎賓館としてその名を知られてきました。
戸倉温泉の開祖である坂井量之助の夢を受け継いだ妻「たか」、戦死した長男誠一の妻「千代」と若女将「みつ」の切磋琢磨、配慮の気持ち。文化・伝統、時代の声、従業員教育、ゆとりと落ち着きを持った日本建築の素晴らしさ。信頼の積み重ねが老舗笹屋ホテルを支え、発展させてきました。

東京大学の藤村教授ら

昭和5年8月
東京大学の藤村教授ら日本文学大辞典原稿整理のため逗留

李王土艮(ぎん)殿下ご来館記念

昭和13年
李王土艮(ぎん)殿下ご来館記念

高松宮殿下

昭和26年5月
戦後の地方事情ご視察の途次高松宮殿下

高松宮殿下、同妃殿下

高松宮殿下、同妃殿下

清宮様(現島津貴子様)を囲んで

清宮様(現島津貴子様)を囲んで

義宮(現常陸宮)殿下

昭和26年秋
義宮(現常陸宮)殿下

皇太子殿下(現天皇陛下)

昭和38年2月
皇太子殿下(現天皇陛下)

千代が写真の裏に残した思い出

昭和38年2月
千代が写真の裏に残した思い出

高松宮殿下をご案内

昭和41年
高松宮殿下をご案内

常陸宮殿下、同妃殿下

昭和50年
常陸宮殿下、同妃殿下をお迎えし同道する主人修一と女将みつ

皇太子殿下、その隣同妃殿下

昭和51年
歓迎の人々に手をあげて応える皇太子殿下、その隣同妃殿下

三笠宮容子内親王殿下

昭和53年
三笠宮容子内親王殿下にご挨拶